工藤為憲の子孫は、駿河や伊豆に土着して、武士となり、各地に広がって行きましたが、伊東祐親(曽我兄弟の祖父)の祖父が、伊東に本拠をかまえるようになったのが、伊東氏の初代家次(別名工藤祐隆)であると言われています。
源平争乱の時代には、平家とつながりのあった伊東祐親やその子伊東九郎祐清・河津三郎祐泰(曽我兄弟の父親)、頼朝の側近として活躍した工藤祐経(曽我物語では敵役となった)、宇佐美祐茂らが、歴史に名をとどめています。
伊東における、その他の曽我物語関連の伝承地としては、千鶴丸が流れついたとされる富戸海岸のうぶげ石や、千鶴丸を祭ったとの伝承がある富戸三島神社の相殿の若宮八幡、その手に持っていた橘をさしたものが根づいたとされる橘の木(同神社)などがあげらます。
伊東家の館跡の伝承地の一つである物見塚公園に、伊東祐親の銅像があり、そこから300mほど西(台地の外れ)に、伝伊東祐親の墓として伊東市指定文化財になっている立派な五輪塔が建っています。そのそばの坂を下れば菩提寺の東林寺にいたります。
東林寺にほど近い葛見神社は、延喜式の式内社としての古い格式を持つ神社であるが、伊東家の守護神としても大切にされ、伊東一族の手によって修復造営されたことを示す棟札をも所蔵していました。 |